大晦日ですね。
YOUさんのコメントをいただいてからずっと、なんとお返事しようか考えていました。
今日、大掃除をしているあいだも考えていました。
YOUさん、あやまらなくていいんですよ。
私もおんなじです。
私も母として無能だったし、今も下の子に「しつけ」というものができなくなってしまって、まわりからも、何も言わなすぎなんじゃないの?と言われるんだけど、どうしていいかまだわからないんです。
母親として、何が正しいのか、どうあるべきなのか。とほうにくれてしまうんです。
フリーズしてしまうというか。
でもね、日本の今の母親って過剰に期待されていると思うんです。
先日の小町ではお弁当に冷凍食品をいれている妻、というだけでダメ嫁とかハズレ嫁とかおもいっきり叩かれていましたもん。
でもそういう価値観て時代とともにかわるものです。
昔は梅干しもお味噌も家で作ったでしょう。
でも今はスーパーで買うことに抵抗感はない。買っても、「まあだれそれさんちの嫁は梅干しをスーパーで買うんですって、離縁したらいいのにっ」なんて後ろ指さされたりしません(笑)
そういう妻として、母として、これをやったら「無能」という基準は、時代とともに変わるのだと、それぐらいに思っていていいのではないでしょうか。
ただ子どもが自殺するほど悩んでいてそれに気づかなかった。
これはもうお味噌とか冷食のレベルを飛び越してしまう。
私もほんとうにだめですよ、母親として。
この「母親として」という縛りでみる限り、ほんとうに泣けてきます。
でもね、だからこそ残りの人生はそういう縛りをはずしたところでね、
今お茶を入れて飲むときはお茶を味わうことだけに意識を集中する、
母としてとか、過去がどうだったか、は考えずに、意識をお茶だけに集中するんです。
それが村上春樹風に言うならば、世界とダンスを踊る、ていねいに踊るということで、生きるってそうするしかないと思うんです。
私が一番つらいとき、やっぱり息子が死んで半年ぐらいの時だったかしら、歩いていても、仕事をしていても、もう辛さのほうが勝ってしまって泣けてくるときは、呼吸をしている、今私は息をすっている、吐いている、そのことに意識を集中させるメディテーションをやっていました。
それと、歩く瞑想。
ヴィパッサナー瞑想を自分流にやっていたんですが、今右足が地面の上をふんだ、右足がはなれた、左足がふんだ、はなれた、というふうに、詳細に自分の一挙手一投足を観察し、意識する。そのことで過去につかまらないようにしていました。
それはうまくいくときもあったし、歩く瞑想をしながらでもやっぱり泣いているときもありました。
でもとにかく一日、一日を生きて、朝起きたらほめて、出かけられたらほめて、家に戻ってきて、そうしたら自分をほめて、無能でもよくがんばった今日一日生きたそれだけでもえらいってほめてほめて、そうやって二年たって、毎日は泣かなくなりました。
やはり時薬が一番、自分の努力とは関係なしに、副作用もなしに効いてくれる一番ありがたい薬だと思います。
ヴィパッサナー瞑想は今でもときどきやりますけど、難しくて、すぐ意識が今晩のおかずとか(笑)、未処理のメール案件とかに、散ってしまうんですよね。
YOUさん、無能さでは私は負けていませんから、この世界にもうひとりは自分と同じぐらい無能な人もいると思ってみてください。YOUさんはひとりぼっちではありません。
いつでもコメントしてくださいね。
YOUさんのコメントをいただいてからずっと、なんとお返事しようか考えていました。
今日、大掃除をしているあいだも考えていました。
YOUさん、あやまらなくていいんですよ。
私もおんなじです。
私も母として無能だったし、今も下の子に「しつけ」というものができなくなってしまって、まわりからも、何も言わなすぎなんじゃないの?と言われるんだけど、どうしていいかまだわからないんです。
母親として、何が正しいのか、どうあるべきなのか。とほうにくれてしまうんです。
フリーズしてしまうというか。
でもね、日本の今の母親って過剰に期待されていると思うんです。
先日の小町ではお弁当に冷凍食品をいれている妻、というだけでダメ嫁とかハズレ嫁とかおもいっきり叩かれていましたもん。
でもそういう価値観て時代とともにかわるものです。
昔は梅干しもお味噌も家で作ったでしょう。
でも今はスーパーで買うことに抵抗感はない。買っても、「まあだれそれさんちの嫁は梅干しをスーパーで買うんですって、離縁したらいいのにっ」なんて後ろ指さされたりしません(笑)
そういう妻として、母として、これをやったら「無能」という基準は、時代とともに変わるのだと、それぐらいに思っていていいのではないでしょうか。
ただ子どもが自殺するほど悩んでいてそれに気づかなかった。
これはもうお味噌とか冷食のレベルを飛び越してしまう。
私もほんとうにだめですよ、母親として。
この「母親として」という縛りでみる限り、ほんとうに泣けてきます。
でもね、だからこそ残りの人生はそういう縛りをはずしたところでね、
今お茶を入れて飲むときはお茶を味わうことだけに意識を集中する、
母としてとか、過去がどうだったか、は考えずに、意識をお茶だけに集中するんです。
それが村上春樹風に言うならば、世界とダンスを踊る、ていねいに踊るということで、生きるってそうするしかないと思うんです。
私が一番つらいとき、やっぱり息子が死んで半年ぐらいの時だったかしら、歩いていても、仕事をしていても、もう辛さのほうが勝ってしまって泣けてくるときは、呼吸をしている、今私は息をすっている、吐いている、そのことに意識を集中させるメディテーションをやっていました。
それと、歩く瞑想。
ヴィパッサナー瞑想を自分流にやっていたんですが、今右足が地面の上をふんだ、右足がはなれた、左足がふんだ、はなれた、というふうに、詳細に自分の一挙手一投足を観察し、意識する。そのことで過去につかまらないようにしていました。
それはうまくいくときもあったし、歩く瞑想をしながらでもやっぱり泣いているときもありました。
でもとにかく一日、一日を生きて、朝起きたらほめて、出かけられたらほめて、家に戻ってきて、そうしたら自分をほめて、無能でもよくがんばった今日一日生きたそれだけでもえらいってほめてほめて、そうやって二年たって、毎日は泣かなくなりました。
やはり時薬が一番、自分の努力とは関係なしに、副作用もなしに効いてくれる一番ありがたい薬だと思います。
ヴィパッサナー瞑想は今でもときどきやりますけど、難しくて、すぐ意識が今晩のおかずとか(笑)、未処理のメール案件とかに、散ってしまうんですよね。
YOUさん、無能さでは私は負けていませんから、この世界にもうひとりは自分と同じぐらい無能な人もいると思ってみてください。YOUさんはひとりぼっちではありません。
いつでもコメントしてくださいね。